歯科医師としての使命

日々雑感

広島県安芸郡熊野町のクリーン歯科です

「治すことが難しい治療でも、あきらめずに色々な治療法を見出して今までやってきた。保険外治療だから治せるのではない。保険治療だってやり方によっては同じように治せることがいくらでもある。世の中は保険外の高い治療費を払える人ばかりではない。だから保険でもしっかりとした治療を誰かがやらないといけない。その一人が自分だと思っている。
どうにか治してほしいと僕を頼ってくる患者さんが増えてきた。数年、数十年と常に痛みを抱え歯科医院を転々としてうちにたどり着いてくる患者さんもいる。これからもそういう患者さんを助けたいと思うし、助けないといけないとも思う。
今は歯科医師という仕事ができることが何よりもうれしく思っている。」

診療再開後1か月たちました。
冒頭は退院後、家族との食事中に話した院長の治療に対する思いです。

 

この度は院長の入院により、患者様へ大変ご迷惑をおかけし申し訳なく思っております。そして、診療再開までお待ちいただきありがとうございました。何よりも病から院長を救っていただいたのは患者様です。心より感謝いたします。

9月10日診療中、突然の腹部の激痛により診療が不可能な状態となりました。メンテナンス等の一部の患者様の治療のみを午後より行いその日の治療終了後、救急搬送しその日のうちに手術を受けました。
時折、患者様より
「病気ってある日突然くるよ。」
とお聞きすることがありましたが、まさにそのとおり突然でした。

手術後の院長は術後の痛みと、あまりにも突然に起こった現実を受け入れることができなかったようで、言葉数も極端に少なくなり、表情も暗く、ただ呆然と宙を見つめているだけの日が数日続きました。
元の状態に戻れるのだろうか、今後クリーン歯科をどうしたらよいのかと不安ばかりが募り、ある日院長にメールを送りました。口頭で伝えるよりも、一人じっくりとかみ砕きながら読みかえすことができるメールのほうが気持ちが伝わるような気がしたのです。
常々、言葉には大きな力があると思っています。武器のように相手を追い込み、場合によっては殺傷してしまうこともあれば、良薬や音楽・アロマように心を癒し、救うこともできるのが言葉の力だと思っています。
少しでも現実を受け入れ、立ち直ってほしい、そして、何よりも診療の再開を待っている患者様が沢山いるということを思い出してほしいという願いを込めてメールをおくりました。

院長のいない医院ではスタッフが、全ての治療ができずしばらく休診する旨と、次回のご予約は再開の見通しがついたら当院より改めて連絡をする旨を伝えるために毎日患者様へ電話をかけていました。私は毎朝医院に行き患者様のご様子を聞くと「誰にかけても院長を心配してくださって、先生が元気に戻ってくるまで待っていますよとおっしゃってくださいます。そんな方ばかりです。」
「他に行くところがないから待ってます。」
「先生に治療してほしいから待ってます。」
そういうお言葉をたくさんいただきました。

メールには患者様とスタッフとのやり取りを書いてみました。

その日の午後、病院に行くと、正気を取り戻した院長がいました。
「待ってくれている患者さんのため、長く待たせることはできないから、一日でも早く良くなって診療を再開しないといけない。」
「僕を頼ってくる患者さんを早く診て早く噛めるようにしないといけない。」
「いつまでもこんなところで寝ているわけにはいかない。」
そう言ってベッドから起きて歩いたり、階の違うコンビニまで買い物に行ってみたり、椅子に座る時間を少しづつ増やしたり・・・
早く退院できるように努力していたようです。
その甲斐あってか3週間の入院予定が短縮されました。

退院後3日間自宅療養し、4日目より診療を再開しました。
保険関係の方が通常退院後1か月は自宅療養するのが普通なのにと驚いていました。
患者様も
「先生、あんなに動いていて大丈夫ですか?」
「また、入院したら大変だから無理しないように言ってください」
「退院したばかりなのに、見ていてこっちが冷や冷やします」
中には、
「先生を大事にしてあげてくださいね」
と、私が言われたり・・・
いつも寡黙な患者様も帰りがけに
「先生が元気になられてよかった。生涯ずっとここでお願いしようと思っているんですよ。だから本当によかった」
と、おしゃっていただいたり・・・

皆様、一言一言がとてもお優しく目頭が熱くなることもありました。

平成3年1月の開院以来、体調不良で休んだことは1度もありません。
40度の熱が出た時も座薬を用いながら診療を行ったこともありましたが、今回はどうにもこうにも無理でした。

ただ、思いがけずしばらく休まらずをえなかったことで改めて「歯科医師」という自分に課せられた使命を感じたようです。

 

 

 

西日本豪雨災害=1=

日々雑感

広島県安芸郡熊野町のクリーン歯科です

7月6日西日本豪雨災害により、ここ熊野町も死者12名という甚大な被害が出てしまいました。
ひと月以上たち、やっと冷静にブログに書くことができるようになりましたので、綴りたいと思います。
あくまでも私個人が感じたことや、見聞きしたことであり、実際と異なることもあるかもしれません。ご了承いただければ幸いです。

 

お陰様でクリーン歯科は何の被害もありません。
停電も断水もなく、翌日より通常通り診療しています。

 

その日は今まで経験したことがない、尋常ではない雨が降り続いていました。
数日で年間の1/4の雨量だったと聞きました。
午後すぎより携帯から幾度となくけたたましい警報音が鳴り響きました。しかし、誰もこんな被害がでるとは思いもせず、
「この音(警報音)が怖いよね。」
と、話す人もいらしたくらい、至って普通に過ごしていました。
大雨にも関わらずキャンセルされる患者様も少なく、通常通り午後8時頃自宅に帰りかけたものの、通りは酷い渋滞により一旦引き返し、10時過ぎに再度帰宅しようと試みましたが、その渋滞はますます酷くなり、近くのコンビニや銀行の駐車場、路肩にまで車が停まり、全く先に進むことができずに止む無くこの日は院内に宿泊しました。
最初の渋滞の時にはすでに道が土砂で崩落した後でした。
その時は渋滞の原因がわからず、ニュースを見て驚愕した次第です。
まさか、こんな近くで、こんな被害が出るなんて、想像だにしなかったことが起こっていました。
熊野町は陸の孤島となっていました。

院内の休憩室でまんじりともせず夜を明かしました。一晩中鳴り響くパトカー・救急車・消防車のサイレン、町内放送・・・
音を聞くたびに体が震えました。
耳をふさぎたくなるような衝動にかられました。
その音は翌日以降も続きました。プラスしておそらく報道のためか、状況の把握のためか、自衛隊の救援のためか、ヘリコプターの音も加わりました。
今もそれらの音を聞くと動悸がします。

翌朝、夜が空けるとともに被害状態が把握できました。
この町で、こんなことになるなんて!
矢野東の土砂崩れ
川角5丁目の大原団地の土砂崩れ
その他、至る場所で、土砂崩れ、水没、停電、断水
言葉になりません・・・

山の上にある熊野町から広島市内に降りるには2本の道しかありません。その1本が矢野東の崩壊した道、そしてもう1本は通常は有料となっている道です。ここも規模は小さいものの、土砂崩れにより通行不可能となっていました。
他に、呉市へ通じる道、東広島へ通じる道、どこもかしこも不通となっていましたが、幸いにも市内への有料道路は翌日通行可能となり無料開放されました。
とはいっても、取り敢えず通行できるように繕った状態で、土砂や流木を避けて通らなければならない場所や、天気の良い日が何日も続いていても山から水が流れて雨が降ったかのような状態のところもありましたが、現在はそれらは解消されています。

有料道路は即座に無料となり、唯一の生命線となったため、気が遠くなるような渋滞が終日続いていました。
20分で行くところに3時間かかったとか、市内から1時間程度のところから、8時間かかったとか待合室で話されていましたが、やっと時間帯によっては渋滞するほどに緩和されています。
とはいえ、熊野町から市内に通勤通学されている方は、今だに行き帰りともに渋滞で大変であろうと察します。

物流が途絶え、スーパーやコンビニから、食料品や生活用品がなくなってしまい、買い出しのためご予約をキャンセルされる患者様もいらっしゃいました。
ガソリンも一回20Lまでという制限付きでした。
それらは広島市内も同じ状態になってはいたものの、市内は早々に解消され、何ら変わらず普段通りの生活に戻っていましたが、熊野町の物流は滞ったままの状態がしばらく続きました。

冒頭でも述べましたが、クリーン歯科は何の被害もありません。
土砂崩れのあった大原団地と同じ「川角(かわすみ)」という町名によりご心配いただきましたが、大丈夫です。
10日間ほどAU回線が圏外となってしまいWiFiが繋がらなくなりましたが、ドコモのスマホの4G回線で対処できたのでどうにか備品や材料の注文はできましたものの、配送が配達区域外となり受け付けてもらえないところがあったり、渋滞により届けられないということが暫しあり、どちらも市内の自宅を配送先とすることで診療に支障をきたすことなくどうにかしのぐことができました。

技工物の集配、宅急便による配送に至っても同様の対応をいたしましたが、一部の患者様へは期日に届かないことがありご迷惑をおかけしてしまい、止む無くご予約の変更をお願いいたしましたところ、
「こういう時期ですから大丈夫ですよ」
と、皆様、快くご変更に応じていただきました。
毎日、集配に来られる方も相当な時間を渋滞の車中で過ごし、かなりお疲れのご様子でした。集配では様々な場所へ移動されているため、渋滞の様子や、災害箇所の現状をお話してくださり聞くたびに胸が痛みました。